ちょっと勉強ができるからっていい気になるな 両親の教え

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小学校の参観に行くなどする中で、ずっと気になっていることが。
出来る子が出来ない子を小馬鹿にしている場面にちょこちょこ出くわすんですよね。
そして、それを先生もめったに咎めないんだなって。
うちの小学校だけかしら。

長女が劣等感でいっぱいだった幼稚園時代を過ごしてきたので、そういった状況に私が過敏なのかもしれません。
寺子屋で教えている生徒の1人は、担任やクラスメートからの見下すような扱いに疲弊し、心身にダメージを負った子だというのも、こういった場面をスルーできない一因かもしれません。

もう30年以上も昔のことなので、時代が違うと言ってしまえば終わりですが、私の両親にはいつもいつも「能ある鷹は爪を隠す」と言われました。
わざわざ「自分はできる」とアピールしなくたって、本当にできるなら見ていればわかる。
「自分だけよければいい」みたいなみっともないことはするな。
それでも天狗になっていた時期があって、父からガツンと言われたことがありました。
「自分1人がほんの少し勉強出来たからって何になるんだ。そんなのはただの自己満足だろ。人の役に立つことをしてから、偉そうにしろ。」と。
それから、「一人でできることはたかが知れている。みんなの力を借りて発展させられる人が、『本当にできる奴』じゃないのか。自分だけで何でもできると勘違いするな。」とも。

当時はなんとなく、「いい気になり過ぎちゃったか~」という程度の反省だったと思います。
でも、今思うと、長く生きてきた人(=父)は真実を突くな~と。
私が尊敬する友人たちは、仕事にプライベートに、とてもバイタリティに溢れています。
大学時代の友人なんて、どこまで上り詰めるんだ~!?っていうような人もいますが、みんな自分が思う道をただ進んでいるだけなんですよね。
威張るとか、人を見下すとか、そんな小さい器じゃない。
とても周りに優しくておおらかです。
自分と違うポジションや環境にいる人も、受け入れ認める懐の深さがあります。
そして、ご縁のあった人をとても大切にしていると感じます。

私が東大に入れたのって、高校の同じクラスにいたとんでもなく優秀な子があれやこれや教えてくれたおかげだったんですよ。
その子は余裕で東大文一に入りました。
同学年なので一応ライバルでもあるのに、助けあいというかそういう雰囲気がありました。
できないから見下されるとか…なかったな~。(数学で学年400人中、下から20番みたいな成績でしたけど。)
全員が全員とまでは言いませんが、人に恵まれた学生時代でした。

「本当にできる」友人たちが、小学生、中学生だった頃、どんな子だったのかは知りませんが、根っこに他人への敬意があるように思います。
私みたいに親から注意されたりもしたのかな~。

でも、今の子たち、誰も注意しないままだと、それでいいって思ってしまいますよね。
子供の社会でも、上下関係や力関係ってあるとは思うし、いざこざがあるのも当然と思います。
様々な性質の人間が複数集まるのですから。
でも、なんかそういう枠を飛び越えて、今の一部の子には選民意識のようなものが芽生えつつあるのでは?と感じています。
自分は何をしても許されると思っている…?
自分の態度で深く傷つく人がいることに思いが至らない…?
それって、人として片手落ちになってしまいますよね。

家庭学習、寺子屋とついつい勉強に意識が向きがちな私。
でも、人として大事なことを、自分も忘れないようにしないといけないし、子供達にも教えていかないといけないなと、あらためて思っています。

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